「母になるのが怖い」ワンオペ育児で苦しんだ実母の呪縛。27歳女性が子どもを望まない最大の理由とは?
“子どもを持たないこと”を選択した既婚女性への匿名インタビュー連載「母にならない私たち」。その決断をした理由や、夫との関係性、今の心境など……匿名だからこそ語れる本音とは?
結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか。女性に選択肢が増えたからこそ、悩んでしまう時代。本連載では、子どもを持たないことを選択した既婚女性に匿名インタビューを実施。 「どうして子どもを持たないことを選択したの?」「パートナーとどう話し合った?」「ぶっちゃけ、後悔してない?」……などなど、顔出しでは言えないような本音まで深掘りします。聞き手は、自身もDINKs(仮)のライター・月岡ツキ。
関西のとある県で、大手メーカーの総務として働いている今井莉実さん(仮名/27歳)。会社の同期でもある夫とは結婚3年目で、仲良く穏やかな毎日を送っている。
一方で、子どもを持つことについては「この不安な世の中に、新しい命を生み出すことの良さが全く思いつかず、不安が止まらない」という。
何が莉実さんを不安にさせているのか話を聞いていくと、莉実さんたち子どもを育てる過程で精神疾患を患ってしまった母親との関係が見えてきた。
「あなたのせいで」ワンオペ育児からうつ・パニック障害になった母
会社の同期である夫と私は、お互い24歳のときに結婚して3年が経ち、周囲からは「そろそろ子どもは?」と聞かれることが増えてきました。
でも、現時点で私は子どもを持つことを全く想像できていません。ますます生きづらくなっていくこの世の中で、生まれてきた子どもも大変な思いをするくらいなら、産まない方がいいのでは……と正直思っています。
私のこの考え方の根っこには、母の存在があります。
長女である私が生まれた頃、父は仕事でほとんど家にいませんでしたから、母は専業主婦で、いわゆるワンオペ育児をしていました。
もともと身体が弱かった母は、ひとりで家事育児に忙殺されるなかで追い詰められてしまい、パニック障害とうつ病を発症してしまって……現在に至るまで、母の病気は完治していません。
私の物心がついた頃には、夜中に母の発作で起こされて、薬を渡したり、背中をさすったり、なんとか落ち着かせようとするのが、私の生活の一部になっていました。
母はパニック障害のせいで電車移動ができなかったり、発作が出て予定が狂うこともしばしばあったりして、家族旅行などはほとんど行けませんでした。
父も父なりに母の病気のことは理解して寄り添ってはいたのかもしれませんが、とにかく仕事が忙しくて、帰ってくるのはいつも夜中。母の苦しみを解決するための行動はできていなかったと思います。
だから、母の心身の不調の矛先は、どうしても私に向かいがちでした。
発作で衝動的になった母に「あなたを産んで育てたから、私はこんな身体になったんだ」と言われたこともありました。子ども心に、その言葉は重かったです。今でも、あの時の母の言葉が、ずっと私の心の奥底に刷り込まれているような感覚があります。
弟が生まれた時のことも、よく覚えています。母はただでさえ体が弱かったのに、二度目の出産でさらに体調を崩してしまって。その頃、父も精神的に少し参っていた時期があって、家の空気は本当に重苦しかった。
私がしっかりしなきゃって、長女特有の気負いみたいなものもあって、常に気を張り詰めていたように思います。典型的な「しっかり者の長女」だったんでしょうね。
母と同じ言葉を、子どもに浴びせてしまうのではないかという恐怖
専業主婦だった母にとっては、家と私たち子どもだけが世界の全てだったんだと思います。
だからこそ、感情の全てが私たち子ども、特に同性である私に向かった。そんな家で暮らすのはずっと息苦しかったです。
だから、小さい頃から「私は絶対に専業主婦にはならない。自分の足で立って、自分で働いて、自分の世界を持つんだ」と強く思っていました。母のように、家庭だけに依存する生き方は、私にはどうしても恐ろしく思えたんです。
最近の母は更年期も重なり、さらに祖母の介護も担っているため、ずっと精神的に不安定な状態が続いています。スクロールし続けても終わらないような、ものすごい長文のLINEが一方的に送られてくることもあります。
正直、もし今の私が子どもを産んだとして、母がこんな状態では、子連れで里帰りをしたり、子どもの世話をお願いしたりするなんて、とてもじゃないけど考えられません。考えただけで、いろいろな苦労が目に浮かんでしまって……。
結婚してしばらく経って、周りの友人たちが出産しても、「私も子どもが欲しいな」とは思いません。「こんな厳しい世の中に、子どもを産み落としてしまっていいんだろうか」と、経済的なこと、社会情勢のこと、考えれば考えるほど不安ばかりが大きくなって……。
だけど一番の不安は、やっぱり母との関係性によるもの。「私もいつか、母と同じように、自分の子どもに対して心ない言葉をぶつけてしまうんじゃないだろうか」という恐怖があります。
かつて母から投げつけられた「あなたのせいで」という言葉。それを今度は私が、自分の子どもに言ってしまうかもしれない。どんなに気をつけていても、いつか精神的に追い詰められた時に、同じ過ちを犯してしまうんじゃないかって。そう考えると、怖くてたまらなくなるんです。
自分の中に、母に似た部分を感じることも正直あります。疲れが溜まったり、ストレスが重なったりすると、自分でもコントロールが難しくなるくらい、衝動的になってしまうことがあるんです。
そういう自分の姿を見るたびに、母の姿が重なって、「やっぱり私には、親になる資格なんてないのかもしれない」って、余計に強く思ってしまうんですよね。
夫と出会って、自分の新しい「家族」ができた
夫は、そんな私の複雑な気持ちをいつも静かに聞いてくれます。
「莉実と、莉実のお母さんは違う人間だよ。そんな風に考えすぎることはないんだよ」と、優しく受け止めてくれるんです。彼のその言葉や存在そのものが、私にとっては本当に大きな救いになっています。
夫も、子どもについては私と同じような考えを持っています。結婚当初は「いつかはね」なんて話すこともありましたが、母親に関する不安や、今の社会情勢・経済的なことを考えると、二人とも「うーん……」となってしまう。
子どもが苦手というわけでは決してなくて、むしろ夫は子どもと遊ぶのが上手なくらいなんですけどね。でも、いざ自分たちが親になると考えると、どうしても慎重になってしまう。その温度感が同じなのは、本当にありがたいことだと思っています。
結婚すること自体には、実はあまり抵抗はありませんでした。むしろ、この人と一緒にいれば、私の心はもっと安定するんじゃないか、お互いにとって良い影響があるんじゃないか、と自然に思えました。
付き合っている頃から、ほとんど一緒に住んでいるような感じでしたし、価値観も合います。何より、私の実家の事情を理解してくれて、それでも「一緒にいたい」と言ってくれたことが大きかったです。
だから、何か劇的なきっかけがあったわけではなくて、ごく自然な流れで「じゃあ、結婚しようか」となって、24歳のときに結婚しました。周りの友達と比べると早い方だったと思います。
夫と結婚して、本当に良かったと心から思っています。自分の新しい「家族」を持つことで、物理的にも、そして何より精神的にも、やっと実家と適切な距離を置くことができたように感じます。
休みの日は、二人でスーパー銭湯に行くのが定番ですね。漫画がいっぱい置いてあるようなところで、一日中だらだら過ごすのが好きです。特に会話がなくても、同じ空間にいるだけで心地良い。そういう何でもない日常が、私にとってはかけがえのない宝物です。
でも、この生活でとても困っているのはキャリアのことです。母のようになりたくない私は、経済的自立を目指して“良い会社”に就職し、成長するために努力していました。
しかし、20代後半になり、キャリアパスが閉ざされてしまう出来事が起きるのです。
(後編につづく)
大企業に就職したものの、キャリアパスが閉ざされた理由とは? 後編は6月4日公開です。
(取材・文:月岡ツキ、イラスト:いとうひでみ、編集:高橋千里)
※この記事は2025年06月03日に公開されたものです